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シュレディンガーの猫

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2018/11/28

こんにちは、佐々木です。

皆様、「シュレディンガーの猫」という話をご存知でしょうか。
調べたところ、あくまでも「量子力学の確率解釈を批判する為の思考実験」だそうで、
実際に行われた実験ではなく、あくまでも例え話なのだそうです。
(私、犬も猫も好きなので思考実験と知ってホッとしました。)

『ある蓋付きの箱の中に、
・猫と
・1h以内に50%の確率で崩壊する放射性原子と
・原子の崩壊を検知すると青酸ガスを噴出する装置を
一緒に入れた場合、猫の生死の確率は50%である。

つまり、箱の中にいる猫は50%生きており、50%亡くなっている、という事と同等である。』

という話だそうです。なんだか小難しい話でしたが(笑)
実は調べた理由は別で、
「蓋を開けてみなければわからない」
「観測者は観測した時点に於いて客観性を失う(京極夏彦さんの小説より)」
という話の引き合いに出されるので、調べてみたのでした。
要は主観・客観について、です。

誰しも行動、発言にはその人の経験や知識を基にした、
いわゆる「価値観」が表れる事が多いと思います。
言い方を変えれば「物差し」だったり「色眼鏡」だったりもするでしょう。
つまり、「主観を交えない完全なる客観」は難しい、という事になります。

誰かを評価したり批判したりした時に、後になってから
「実はそういう事情があったのか。」「知らなかった。」
というケースもあるでしょう。
同じぐらい「知りもしないで」「表面だけで判断している」
という事もあると思います。

誰しもその人の価値観や知っている範囲でしか判断できないとすれば、
評価したり判断したりする事自体、その人の「物差し」を露呈する事にもなるでしょう。
「迂闊な判断や軽率な評価・批判」は=「それをした人の尺度」になってしまいかねません。
表面だけで判断したり、上っ面だけで批判したりする事は「その人の見方、観察力」
という事なのだろうと思います。

また、評価をあてこんで行動したり、自分の価値観で行動していながら都合の良い評価を求めたりするのも、
お門違いという事になるのではないでしょうか。
判断・評価する相手が深い洞察力をもっていた場合、表面だけの行動は悪い評価にしかなりません。

個人的には
「評価はあくまでも他人がするもの、評価する側も同等の知識と経験が必要」と思っています。
やった事の無い人が、日頃やっている人に対して評したり指図したりする事ほど奇妙な事はない、
と思うので、自ずから日頃の言動は慎重にしたいものだと思っております。

やたらと遠まわしになりましたが、
お客様からのご要望を正しく理解し、
何を求めて何を望んでいるのか。
主観を交えて判断するのではなく、
知識や経験を基にして、より良い提案ができる様に努めて参ります。







 

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